こんにちは。
今回は写真撮影とは無関係の人生のお話になります。テーマは「死」になりますが、こう言ったワードを発信すると、Googleからの評価が下がる可能性があります。
その為、この記事は後日に削除する可能性がある事をご了承ください。
目次
死の恐怖を知った
はじめに
哺乳類である人類は、残酷な事に高次脳機能が発達してしまいました。これが原因により、早い場合には小学生時代に「死」を理解し、恐怖を抱いてしまいます。本来知能の発達していない生物は、自分が死ぬ事実自体を認識する事ができません。
この世の中にある動植物だけでなく、物質全てに終わりがある事は誰もが知っています。硬質な鉄でさえも、酸化・劣化し脆くなります。また、銀河や惑星、太陽もいずれは消滅すると言われています。
話を本題へ進めましょう。動植物は老化=酸化し、いつかは寿命を迎えます。また、環境適応ができなかった生物(捕食・餓死・病死)もその場で消滅します。長い間時間をかけて進化してきた地球上の生物が、この寿命や消滅を克服した唯一の答えが、繁殖です。そして、人類は運よく環境適応が強く、現在の地球のピラミッドの頂点に君臨し子孫繁栄しました。
死の恐怖を知った
自分が人間は皆いつかは「死ぬ」事を知ったのは、小学2年生の頃です。
まだ40歳ほどのおばさんが肺癌で亡くなり、身内がこの世から去ったのは初めての事でした。両親と何度も病院に通い、苦しみながら次第に弱って言ったおばさんの様子は今でも覚えています。最後の方は、幼い自分は病室にも入らせて貰えませんでした。
おばさんの死が告知されたのは、確か学校帰り。母から、「◯◯が亡くなったよ!」と静かに明かされました。何度も病院にお見舞いに行っていたとは言え、亡くなったと言う実感はすぐには無く、お葬式でおばさんの亡骸と、塞ぎ込み泣く親戚一同の姿を見て、次第に理解しました。しかし、この時点では、まだ恐怖までには至りませんでした。
その後しばらくして、自分は何気なく父親に聞きました。「自分もいつかは死ぬの?」。すると父は、「お前が死ぬなんて、お父さんが死ぬよりももっと先の話だから、今は考える事ではないよ!」この答えを聞いた時、初めて自分は「自分にもいつかは死という終わりが来る」事をはっきりと理解しました。
休日の午後の自宅の庭で、西日で逆光になった父親を前に、初めて死の恐怖を感じた光景を今でもはっきりと覚えています。
終わりが来る=今はっきりしている自分の意識が無になる。そして、その無が永遠に続く。太陽が消滅し、地球上の生物がいなくなり、太陽系や銀河が亡くなり、その後も「無」と言うものが永遠に続く。こんな恐怖は他にありません。
これが、自分の人生での死の恐怖の始まりになります。
死の恐怖と発作
それから両家の祖母や飼っていたペット、老いた親戚が順番に亡くなり、テレビでは有名人の死がニュースになるなど、死という物をより多く目の当たりにしてきました。
死をはっきり理解した父親との会話の日を境に、30歳になるまで自分は定期的に死の恐怖を思い出すと、発作のような症状に襲われるようになりました。
発作と言っても症状は軽く、動悸や一時的な呼吸困難になる程度でした。実際に、症状が出たらその場から離れて、水を飲んだり会話すると、死の恐怖は消えてくれました。しかし、ブログを書いている今現在も、夜にベッドで寝ていると、時々この死の恐怖に襲われます。
では、どんな時に死の恐怖を思い出すのか。自分は他人の死を目の当たりにしても、死の恐怖に襲われる事はありません。どちらかと言うと、宇宙の映像や映画を見た際に、死の恐怖に襲われます。原因としては恐らく、幼少時代に以下の内容を記憶しトラウマ化したからです。
- 太陽が消滅すると人類が絶滅する
- 太陽系の惑星が直線上に並ぶと、オゾン層に穴が空き紫外線が降り注ぐ
- ブラックホールは光をも引きづり込む
- 人類の生存期間は宇宙の存在期間と比較すると、豆粒程度
オゾン層に穴が空くなど少し笑えるお話しですが、当時は実際にニュースになっており、紫外線により地上の生物は絶滅すると言われていました。また、ノストラダムスの大予言にも書かれていたとかで、小学生だった自分枯らしたら本当にトラウマでした。
この事から、宇宙の映像や映画を見た際に、地球は海に浮かぶ小さな船と変わらず、人類の不安定さを感じ、死という恐怖を思い出すのだと思います。
死の恐怖を克服する方法
ここでは、前半に自分が見つけた「死の恐怖を克服する方法」を述べ、後半には一般的に言われている死の克服方法を書いたいと思います。
特別に幸せな感情を見つける
小学生時代から死の恐怖を知り、長い間死の恐怖を持ちながら生きてきた自分ですが、30歳を迎えた昨今、「今なら死んでもいいかな」と思える事が増えてきました。
一般的には、親は子供の為なら死ねると言います。子供が幸せなら自分は死んでもいい。そういう思考です。これは当然、生物は子孫を残して今の形を作って来た為、本能的にそう言う思考や行動になるからです。しかし、自分には子供はいません。
また、他のサイトでは宗教や哲学書を読むと言った方法が挙げられていましたが、自分はそもそも宗教や哲学に興味はありません。よって、このような対処方法ではありません。
どういった場面で死んでもいいと考えられるのか、ここでは、死ぬ恐怖を克服するプロセス(過程)まで含めてお話します。
それは、とても単純な事ですが「幸せな感情」の時です。
この文を見て読者様は一般論じゃないか!と突っ込むでしょう。いえいえ違います。
幸せの感じ方は人それぞれであり、食事をしている時や買い物をしただけでも幸せになれる人間はいます。しかし、食事や買い物ができるから死んでもいいと思える人間は、恐らくいないでしょう。つまり、ここで言う「死んでもいいと思える幸せ」とは、人生の中でも特別な場面である必要があります。
一つ目の具体的は、結婚した奥さんと楽しい時間を過ごしている時です。この瞬間だけは、心が非常に穏やかになり、自分はこの為に生まれて来たんだ。幸せな時間が過ごせた=後悔する事はない、と言う思考になり、死を受け入れられるようになります。この思考は当然、生物としてパートナーを見つける事は本能な為、十分に理解できます。もし今現在パートナーがいない方で、死の恐怖に悩まされている方は、恋人を作る事をおすすめします。
二つ目の具体例は、満点の星空の下で写真撮影している時です。自分は写真撮影が最大の趣味であり、特に星空や天の川の撮影が一番好きです。希少な天候条件に恵まれ、休日に高いカメラ機材で一晩中写真撮影をする事は、最大の精神的リフレッシュとなります。また、撮影中に見上げる非日常的な星空は、本当に感動そのもので、宇宙の大きさや自分の小ささが実感できます。この時脳は興奮状態となり、これだけ素晴らしい光景が見られたなら人生後悔しないと言う思考となり、これが幸せな感情と繋がり、死んでもいいと思えるようになります。
二つの事例を挙げましたが、両方に言える事はどちらも「幸せな感情」である事です。
人間には喜び・悲しみ・怒りなど様々な感情がありますが、死への恐怖は絶対的に大きいです。30年間生きてきた自分は、「幸せな感情」は「死の恐怖と言う感情」を相殺(中和)する効果がある事を知りました。つまり、十人十色に特別に幸せな感情を見つける事は、死の恐怖を克服する最大の武器になるのです。
ここまでだらだらと持論を述べて来ましたが、恐らく自分に子供や孫ができた時、この「幸せな感情」は最大値となり、今まで以上に死を受け入れられる自分になれると予想しています。
不老不死が残酷と言う考え
次にお話しするのは、死の恐怖を克服するのに、別の角度からアプローチする方法です。
上では、自分の人生の中での特別な幸せを例に、死の恐怖を克服する方法を述べました。ここでは、人間が作り出したアニメの物語を例に、死の克服方法=不老不死が残酷と言う考えに置き換えて説明したいと思います。
一つ目の例は、アニメのワンピースの登場人物です。もうお察しですか?主人公麦わらのルフィの海賊団に、ブルックと言うキャラクターが登場します。彼は、ヨミヨミの実と言う悪魔の実を口にし死ねない身体となりました。その為姿は骨人間となっています。過去を振り返ると、人間だった頃の海賊団は既に病死しており、この世にいません。また、自分以外の仲間が次々に死んでいくシーンも描かれています。つまり、今の麦わら海賊団がこの世を去っても、この先ずっと死ねない=永遠に一人になると言う事です。これはありえないお話ですが、では地球や太陽、太陽系が滅びたら、ブルックと言うキャラクターはどうなってしまうのか。そう考えると、不老不死は本当に孤独で残酷な地獄と言えます。
二つ目の例は、アニメ七つの大罪の登場人物です。主人公のメリオダスは魔神族で、恋人のエリザベスは女神族と言う設定です。本来対立している属性ですが、この二人だけは、恋人同士になったと言う設定でした。しかし、それは数千年も昔の話。反逆者として、メリオダスは最高神に一生成長しない身体に、エリザベスは魔神王に死後転生と言う呪いをかけられました。つまり、メリオダスは転生し続けるエリザベスを何百人以上も愛し、見送って来たのです。結果的にメリオダスがエリザベスの呪いを解き、転生しない身体に戻しました。しかし、昨日の放送シーンを見てゾッとしました。成長しない子供の姿のメリオダスが、老いたエリザベスの死を見送るシーン。エリザベスは死ぬ間際で、「私はもう転生しない為、あなた=メリオダスを一人にしてしまうのが辛い」と語り、二人で涙を流していました。その後、メリオダスは当時の仲間がこの世を去った後、悪魔(アニメで言う混沌)と永遠に戦い続けないといけないと言うシーンでした。その悪魔からは、「お前だけか?当時の仲間はどうした?あの時一緒に死んでいれば幸せだったな!」と言われていたのですが、恋人や仲間がこの世の中から居なくなっても、永遠に生き続けると言う不老不死は、本当に残酷で地獄だと言えます。
このような考えから、自分は最近になり、死ぬ事は幸せとも感じるようになりました。
死の直前は苦しくないと言う事実
最後は死の直前は苦しくないと言う考えです。
拷問や怪我、病気や交通事故など一部の原因を除き、死は苦しくはないと言う考えがあります。死ぬ前後に脳が出すホルモンが作用する為に苦しくない事が解明されているそうです。
想像してみてください。うとうとしながらソファーで眠りそうになっている時は、凄く心地いいですよね。寝れば休める=楽になると言う考えで、老衰や一酸化炭素自殺などで死を迎える際は、恐らく同じ状況と予想ができます。また、意識が低下する為に死の恐怖は想像できず、死んでしまえば感情そのものが無くなるため、恐怖を感じずに無を迎えます。
想像すると怖いですが、実際に苦しまず、自覚せずに死を迎えると思うと気が楽になります。
まとめ
今回は、死の恐怖を克服する方法を書いてみました。
最後に結論になりますが、やはり感情のある人間は、大切な恋人や家族がいる事で、人生で最も幸せな感情となるようです。この幸せを見つける事が、死の恐怖を克服する為の最大の武器になります。また、本当に夢中になれる趣味を作る事が、幸せな感情に繋がり、死への恐怖を中和してくれる事がわかります。
最後に頭に入れておかないといけない事を書きます。両親は勿論、初恋の人やテレビに写っている有名人、いま大切にしている家族や友人も、皆順番に死んでいきます。
一人で死ぬのは怖いですが、自分が知っている人間は皆死ぬ、そう考えると、死ぬことへの恐怖が消し飛ぶのではないでしょうか。20歳の頃は、あと4倍ある。25歳の頃は、あと3倍ちょっと。30歳の今は、もう人生3倍もない訳です。しかし、昨今の自分は幼少の頃に比べて、死ぬことへの恐怖を感じなくなっている事が事実です。
この記事を読んだ読者様が、少しでも死ぬことへの恐怖に勝てる事を祈っています。
写真撮影していないから、こんな記事書くんだな、、、笑。
それではまた。